5「古池や…」に見る俳句の奥深さ

コロナが落ち着いてきて、
そろそろ、また、習い事をしたいと思い、
正岡子規の研究で知られる、
復本一郎先生のもとで
俳句の教室に通っています。

俳句を習うのは、何年ぶりかしら?
30年ぶり?かな?
すごい大昔だわ。😮
その時の先生は、平井照敏先生で、
加藤楸邨のお弟子さんのようでしたが、
もともとは、フランス文学の先生だったみたい。
先生が亡くなられたこともあって、
私の参加意欲もなくなり、俳句をやめました。

現在の先生の講義は、
「俳諧大要」(正岡子規)を読み解くことで
俳句で大切なことは何か、を勉強します。

先日は、有名な芭蕉の俳句

     「 古池や蛙飛び込む水の音」

の解釈が議論になりました。
先生は、まず、
芭蕉はどこにいるのか?
と、問われました。

あなたは、どう思いますか?
池のほとり?
それとも、…。

先生の質問は続きます。
この句の主題は、何?

私が当てられたので、すかさず、
水の音、と答えました。
カエルの飛び込む様子がどうかよりも、
その音に集中したいがために、
水の音という言葉で締めくくった。
ピタリととらえて、揺るぎがありません。

カエルの鳴き声は、どうだったのか?
カエルと言えば、鳴き声がイメージの中心。
その事に言及していないということは、
たくさんのカエルがいるわけでもなく、
もしかして、鳴いていないのかも知れない。
あるいは、鳴いていたとしても、
あまり気にかからない程度のものか。

私は、思ったの。芭蕉は、
池のほとりではなく、
庭が見える縁側あたりにいるか、
ひょっとして、家の中にいるのかもしれない。
もしかしたら、池を見ていない?
何か、作業をしていて、聞こえてきた音に、
ふと心が停まり、
カエルが飛び込んだと、
わかる日常を送っていたのではないか。

先生が解説して、
カエルの鳴き声や動きよりも、
音に焦点を当てた点が新鮮で、
俳句界隈に衝撃が走った。
この句は、
それまでの固定観念をひっくり返し、
世に、俳句革命を起こした、と。

俳句の勉強をしていて、革命などという
エキサイティングな言葉が聞かれるとは
思わなかった。
先生はいつも、インパクトが欲しいと
おっしゃっていたけど、
革命的なほどの、考えの転換が必要だ
という意味なのだろう。

講義が進んで、最後に、
質問はありますか?
と、聞かれたので、
講義中に引っ掛かっていた芭蕉の句に戻って、
私なりの新たな解釈を披露してみた。

私は、思いつくままに、言った。
私は、古池という言葉が引っ掛かります。
なぜ、わざわざ、
古池、という必要があったのでしょう?
単に、池、でいいのでは?
古いことをわざわざ言うのには、意味がある。
もしかして、古池は、
芭蕉自身のことかも知れない。
古池や、と、詠嘆しているから。
自分も、ずいぶん、年をとったなぁ、と。

仮に、もし、そうだとしたら、
その下の意味も、違ったものになる。
おそらく、若い人との交流の中で、
新しいものの見方や行動に、何か刺激を受けて
強く感じるようなことがあったのではないか?
芭蕉の心を動かすような出来事に、
素直に感心していると、読み取りました。
心のざわめき、波紋、驚き、感動、共感。

言ってしまってから、
ちょっと極端な解釈かと思ったけど、
先生は、笑いも、否定もしなかった。
むしろ、それもあるかもしれない、
あなたの解釈に、95点を上げましょう。
そういう見方ができることが、この句の
俳句革命たる所以なのです。
と、褒めてくれた。

え、えっ?!
こんな解釈を
1つの見方として評価してくださったのが、
思いがけず、嬉しかったです。

先生は、また、続けておっしゃった。
その解釈の深さを、
これからの俳句作りに役立ててください。

あぁ、そう来たか。
私って、評論はできるけど、
創作して、詩ごころを生み出すことは、
ホント苦手なんだわ。😀
でも、先生に言われたからには、
もう、ひと踏ん張りしないとネ。

2年間習っていても、
句会で認められる句は、なかなかできない私。
たまに、まぐれで、
先生の選を頂くことはあっても、
続かないのは、実力が備わってないのよネ。🙄

でも、仲間の上手な句に触れて、
その句の良さを学ぶために、
選に入った句をノートに書き留めて、
時々見ては、
その句の良さを何度も味わうようにしているの。

それぞれの俳句を、長く見ていると、
その方の家庭環境や暮らしぶりが、
自然と、句にもにじみ出てきて、
それぞれの人となりを感じたりします。
おそらく、反対に、私の句からも、
私の生活ぶりや、考え方、生き方が、
感じられたりしていることでしょう。

でも、それが俳句。
自分を裸にして、さらけ出す勇気が必要。
取り繕った句ではなく、
本音を出せる大胆さを。

私の苦手なのは、写生ね。
簡単なようで、私には、とっても難しい。
写生こそが俳句の基本なんだけど、
私がやると、ただ事になってしまい、
キラリと光ったものが生まれない。

感動を伝えようと、変に、言葉に
小細工を施そうとすると、失敗する。

でも、まぁ、
選に選ばれても、そうでなくても、
続けることが大事かな?
上手とか、下手とか、そんなことよりも、
俳句を楽しむことが大事。
だって、私が、今、俳句をやる理由は、
ボケ防止のためだから。

俳句の命は、季節感。
今、この時を大事にするので、
日々の生活の中で、
季節の移り変わりに敏感になり、
目ざとく、その旬なるものを味わって、
生きる喜びと、
生かされていることへの感謝を
忘れないようにしたい。

でも、でも、
今、私、大スランプなの。
俳句が、全然、浮かんでこなくなった。
ボケたかも知れないよ。
どうしよう。
誰か、助けて~。😮
俳句の神が、降りてこないよ~。🥺


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