262 I 関東大震災(5)レンガ造りの横浜駅が崩壊!!

関東大震災の時、横浜駅も崩壊した。
レンガ造りの美しい駅舎だった。

AI によって生成された画像

鉄骨入りの頑丈な造りだったので、

震災の揺れに、ある程度耐えられたが、

大火災の熱で、鉄がぐにゃりと曲がって、崩壊。

あの、美しい横浜駅の惨状に、

人々は、どんなに悲しんだことだろう。


⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


そもそも、横浜駅は、

1872年(明治5年)に、

日本初の鉄道開業とともに生まれた、日本初の駅。

新橋とそっくりだが、こちらは石造りになっている。

石ならば、震災にも火事にも強そうに思えるが、

実際のところ、火災に耐えられなかった。


AI によって生成された画像


この初代の横浜駅は、震災前の1915年(大正4年)、

桜木町駅と名前を変えていた。

高島町にレンガ造りの新駅が造られ、

そこに横浜駅という名前を、

涙を飲んで譲らざるを得なかった。


これは国鉄の方針。

何故ならば、鉄道が発達して、

線路を大磯方面まで伸ばしたから。

しかし、初代横浜駅は、

スイッチバックをして本線に戻るという、

まどろっこしいことをやっていた。

高島町を新しい横浜駅にするということは、

初代横浜駅を切り捨てるということ。


こんなこと、許すわけには、いかない!


元祖横浜の浜っ子は、大反発。

しかし、国鉄は譲らなかった。

この頃というのは、第一次世界大戦の時代。

日本は、大戦景気で物資の輸送が増えた。

そんな中でスイッチバックなどという、

悠長なことは、やってられない。

横浜は切り捨ては、既定路線だった。

横浜までの路線は、完全廃止したいと。


結局、住民の気持ちを少しは汲んだのか、

鉄道や駅舎は残し、

名称を桜木町駅と変えることで、残すことにした。

浜っ子たちは、駅を存続させることを条件に、

 新駅の建設を飲んだ。


⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


関東大震災の後、国鉄は、こう判断した。

石造りもレンガ造りもダメなら、

次は、地震にも火災にも強いコンクリートにしよう。

そうやって造られたのが、3代目の横浜駅。

すぐそばの石油会社が移転した後、

たまたま広大な土地がぽっかり空いていたので、

そこへ、移すことになった。

国鉄としては、

さらに、まっすぐ鉄道を走らせることができるので、

願ってもないチャンス。

平沼の地に、3代目横浜駅が完成したのは、

1928年(昭和3年)のことだった。


AI によって生成された画像
✳️この絵、間違ってる。ぐるりんも、きらりんも、
    どうしても、正しく描けなかった。
      正面玄関は、海に面しているはず。
     裏口は、何もない、ただの資材置場だった。
    正しい絵を描けず、ごめんなさい。

正面玄関は海側で、通称、表口と呼んでいた。
反対側はと言うと、通称、裏口。
何にもない広場に、資材置場があるだけ。
こんな所に出るのは、資材の関係者くらいか。

横浜駅に、国鉄の路線があるだけで開業した。
民間の鉄道会社は、乗り出さなかったのだろうか?
鉄道王と呼ばれた五島慶太は、どうした?
横浜駅の裏口を見に行ったに違いない。
ところが、どうだろう。
そこは、ぬかるんだ湿地帯で荒れ放題。

あんな泥沼のような裏口に投資しても、
人が集まる繁華街になるわけがない。

そんな冷ややかな目で見て、
全く乗り気にならなかったそうだ。

それならば、と、乗り出したのが、
相鉄の川又貞次郎。
誰も見向きもしない荒れ地を、
格安で購入することができた。

東急が要らないと捨てたカードを、
拾った相鉄の先見の明たるや!
この後、目覚ましい発達を遂げるのは、
皆さん、ご存知の通り。

ただ同然で買った、この荒れ地を、
宝の山に変える秘策があった!

相鉄線の横浜駅乗り入れに際して、
まず、裏口と呼ばれていた場所を、
「西口」と呼ぶことにした。
正面玄関のことは「東口」と呼んだ。
これで、表も裏もない平等な名称に。
今でこそ、人々はこの呼び方に馴染んでいるが、
当初は、
表口・裏口から頭を切り替えるのに、
少し 時間がかかったかもしれない。
それでも、この名称変更は、成功したと言える。

そして、その次の策がなかなかのものだった。
その西口に開店した高島屋と連携して、
相鉄線のポスターに、こんな見出しがついた。
「金曜日には西口に行こう!」

相鉄は、1956年(昭和31年)に、
横浜駅西口名店街をオープンさせた。
その後、1959年(昭和34年)には、デパートを誘致。
西口に、横浜高島屋をオープンさせたのであった。
この高島屋とタッグを組んでの、
大宣伝キャンペーンが、
あの「金曜日には西口に行こう!」なのであった。

当時、週末の金曜日に、

仕事帰りのサラリーマンを西口に引き寄せるため、

駅や車内にそのポスターをズラリと貼って、

直球のアピールをした。

東口の老舗街に対抗するための、

相鉄と高島屋による、

非常に戦略的で、スマートな仕掛けだった。


素晴らしい!

相鉄の社長って、なんて、頭がいいんでしょう!


私は、このエピソードを知った時、

川又貞次郎に脱帽した。


⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


それにしても、

もしも、関東大震災が起こらなかったら、

このあたりは、どうなっていただろうか?

横浜駅は、高島町のあたりに、

今なお、美しいレンガの駅として、

皆に愛され続けただろう。


そして、そのすぐ隣には、石油会社のタンク群…?

それは、もう、あり得ないか?

震災が起こらなくても、

世の中は環境問題にうるさくなるので、

いずれ、移転を迫られることになっただろう。


歴史に、もしもは、ない。

まあ、なるべくして、なった、というところか。


⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


関東大震災シリーズ、全5回。

お楽しみ頂けたでしょうか?

私が、みなと博物館でガイドをしていた頃の、

個人研究の一端を披露させて頂きました。

年号や地名、個人名の定かでないところは、

geminiぐるりんときらりんの協力を得ました。

また、挿し絵は、なのばななでした。

AIは、1つの情報には詳しいけれど、

事実と事実のつながりは、私の方が得意でした。

それなので、私のそのひらめきに対して、

いつも、ぐるりんは、

さすが、横浜の歴史に詳しいころりんさん!

と、ベタ褒め。

また、AIが言ってることの、間違いを指摘すると、

その通りでございます。正しくは…、と、

調べ直すのでした。


なので、AIを2つ使い分け、

1つのものとやり取りした後に、

残りのAIに、チェックしてもらうようになりました。

ぐるりんよりは、

きらりんの方が最新のバージョンなので。

初め、ぐるりんが使った言葉をそのままで、

タイトルを石油コンビナートと書いたけど、

きらりんは、それは正しくないと言いきった。

コンビナートという言い方は、

高度経済成長期以降の用語だから、と。

昭和初期ならば、

石油タンクという表現がふさわしいとアドバイス。

コンビナートでも、間違いではないけど、

より正確さを期す表現にしてくれた。

さすが、きらりん。

あんたは、優秀だよ。


また、私の書き方で、句読点の多さを指摘された。

平仮名が続く所があると、読み間違えないように、

親切心から「、」を打つ癖ができてしまった私。

今、削除しまくりました。


5回シリーズの大作に、

全部付き合ってくださった皆様、

本当にありがとうございました。


また、横浜の歴史や、日本の歴史の面白いところを

紹介していく日があると思います。

またの機会をお楽しみに。


                           by        ころりん



✳️関連記事は、こちらから。

                          ⬇️

     261  I  関東大震災(4)石油タンクの大爆発!!




✳️私のプロフィール&過去記事一覧は、こちら。

                       ⬇️
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