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260E 変形性股関節症:転院します

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  9月4日(金)、今日は転院する日。 今いる病院は、救急病院にも指定されているので、 患者の入院期間は、2週間が限度みたい。 次は、リハビリ専門病院へ移るはずだったけど、 長くなりそうだったので、 先生が外勤している病院へ移ることに。 引き続き、同じ先生に見てもらえるので、 私も、嬉しい。 昨日から、持ち帰る荷物をまとめ始め、 主なところは、バッグにしまった。 以前、紹介した2つのバッグと、ミニバッグ。 隣のベッドの若い女性が、見に来て言った。 わぁ、ステキ! いいですね、このバッグ。 指差したのは、 白黒のショッピングカート。 興味がありそうなので、説明する私。 これ、近沢レースなの。 あら、私も、 何か、ネットで買おうと思ったことあるけど、 8000人とかの、順番待ちになってた! 何のことか、よくわからないけど、 今でも、近沢レースって、人気なんだ。🙄 それも、若い人に? 昭和生まれの私としては、 ちょっと、意外な気がした。 荷物は、紙パンツが減ったけど、 増えたものもある。 それは、売店で買った、杖が2本。 長いものが沢山になったので、 バッグの真ん中に、真っ直ぐ立てて、 両側からジッパーを真ん中に引き寄せて、固定。 長いものが出っ張っても、 カートの持ち手の高さの範囲なので、 全体として、まとまり感は、あるし、 他人の邪魔にもならない。 やっぱり、このショッピングカート、優秀だわ。 それで、退院の日なので、 これから、お会計があるので、 清算書類が、さっと出せるように、 前側にあるスリットに差し込んでおく。 後ろ側には、ミニバッグのような、小物入れが。 海外旅行なら、ここにパスポートを入れるのかしら? 私は、ハンカチやティッシュ、小物を入れた。 ポケット代わりになる。 実は、その下にも、小さなスリットがある。 ここには、たぶん、 空港までのバスや電車のキップ入れに良さそう。 私は、特に、入れるものはない。 でも、このバッグ1つで、旅行もできそうだわ。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 朝食後、ベッドの上で、 コロナとインフルエンザの検査をした。 話の奥まで入れるので、痛かったけど、我慢、我慢。 くしゃみもしなかったよ。 イイ子、イイ子…。🙂 結果は、1時間後。 さてと、洋服に着替えて、1階でお会計しないと。 ワン...

259E 変形性股関節症:術後10日の回復ぶり

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 8月24日に入院し、 25日に変形性股関節症の手術をした私。 今日で、術後10日の、回復ぶりを報告しますね。 昨日、 手術跡の大きな絆創膏のようなものが取り外され、 初めて、手術跡を、この目で見たの。 ちょっと、どきどきしたけど、 15cmくらいの長さの、大きな傷痕を見た。 先生や看護師さんが、きれいですね、と。 腿の方に大きく広がった内出血も、 赤から黄色に変わり、 皮膚に吸収されていってるとのこと。 ずっと、腿の前側の筋肉が痛かったのは、 この内出血のせいかもしれない。 今日は、その腿の筋肉の痛みや、 硬直感も減ってきたのを感じる。 患部は、元々、そんなに痛みを感じなかった。 寝てる時に、感じるだけ。 入院中、痛みの度合いをよく聞かれたわ。 私は、ずっと、10段階で、2または1、と答えていた。 堪えられる程度の痛み。 痛み止めを飲んでるせいもあるけどね。 でも、今日辺りから、痛みがかなり和らいできた。 リハビリの効果は、これから出てくると思う。 今日は、最後のリハビリで、 足の横開きの筋トレを頑張った。 平行棒で伝い歩きの練習をした後、 2本杖の練習をし、 最後に、1本杖の練習。 今日は、新たに、早歩きもやった。 理学療法士さんが見ていて、 いいですね、と褒めてくれた。 私も、術後10日で、 ここまで回復したことが、嬉しく、 理学療法士さんに、感謝の言葉を述べた。 本当に親身になって、優しく、厳しく、 指導してくださったお陰。 言われた注意点は、今も、頭にあるので、 転院しても、それを思い出して、頑張りたい。 今日は、先生との面談があり、 転院先では、2週間程度入院の予定とのこと。 私の回復具合によって、前後するかもしれない。 退院後の介護サービスについて、 ケアマネージャーに、電話で、私の要望を述べた。 街の整形外科に通院してリハビリする道がないなら、 今の介護サービスの構成を変えたい、と。 今までは、ヘルパーさん週2、看護師さん週1、 理学療法士さん週1だったけど、 クリニックでの通院リハビリに通えない分、 ヘルパーさんを減らして、理学療法士さん週3と、 看護師さん週1にしてもらえないか、交渉した。 それが、可能かどうかは、知らないけど、 やってやれないことは、ないらしい。 問題は、 私の都合のいい日に来てくれる人が見つかるか? 難しかったら、理学...

258 I 関東大震災(3)不死鳥のごとく復活の横浜港

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関東大震災によって横浜の港は壊滅し、 無惨な姿になってしまったが、 ここで、驚異の猛スピードで、復活を果たす。 特に、港湾施設の復旧は、 1年半という短さだった! ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 復興は、震災から、わずか50日後にスタート。 このスピード感に、 度肝を抜かれた人も多いにちがいない、 なぜ、そんなことができたのか? 答えは、 全額国費による復旧工事が進められたから。 横浜港は、帝都の関門! 日本経済の死活問題に繋がるので、 国を上げて、なんとかせねばと、急いだのだった。 先陣を切って、最初に完成したのは、大桟橋。 1925年(大正 14年)完成。 スクリューパイル(鉄の螺旋杭)を交換。           ⬆️    これがスクリューパイル 上屋などが完成したのは、1928年(昭和3年)で、 そこには、帝国ホテルのレストランも開店し、 この後の客船の黄金時代を迎える序章となる。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 最も痛手の大きかった新港埠頭の復旧には、 かなり時間がかかった。 完成したのは、1931年(昭和6年)。 この年は、昭和恐慌が吹き荒れ、苦難の出発となる。 新港埠頭は、地震対策を重視して復旧が進められた。 まず、海底工事には、 ケーソンというコンクリートの四角い箱を使って、 地震に強い構造にしたことが注目される。 倉庫も、火災にも強いコンクリート製に。 また、ガントリークレーンも、しっかりと固定した。 臨港鉄道など地上の整備が完成するのは、 1931年(昭和6年)のことだった。 赤レンガ倉庫の1つは、前半分が崩れてしまった。 そこは、そのままとしつつも、 赤レンガの内側は、 すべて、鉄筋コンクリートの内壁で補強した。 こうして、工事を急ぎつつも、 地震対策には抜かりなく、 最新の技術により、完璧とも思える工夫がなされた。 新しく生まれ変わった大桟橋と新港埠頭。 これら、最新の設備によって、 東洋一の港と称され、浜っ子自慢のものとなった。 これにより生糸貿易の復活を果たす、はずだった。 ところが、この年、新たな問題が発生。 日本は、昭和の不況の嵐が吹きすさぶ時代に突入。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️...