299 I ハマの歴史(3)音で探るペリー上陸模様
横浜が歴史の大きな舞台となったのは、 1854年 2月13日、嘉永7年1月16日のこと。 ご存知、ペリー来航で、横浜村は、てんやわんや。 1年前にも浦賀にやって来ているので、 それなりの噂話を聞いてはいるものの、 まさか、この横浜が、応接の場に浮上するなんて、 誰も想像していなかった。 社会科の教科書にも描かれている、 あの、有名なペリー上陸の舞台には、 どんな音が聞こえて来たのか、 その音にまつわる話題を、あなたと共有したい。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ ペリーの艦隊は7隻でやって来た。 そのうち、蒸気船は2隻で、残りは帆船。 蒸気船は、サスケハナ号とポーハタン号という名で、 横浜上陸の際に、旗艦となったのはポーハタン号。 その船に、ペリーが乗っていたのね。 7隻の船は、沖合いに、どのように停泊したか? 横一列にきれいに並んでいたの。 横向きになった船腹からは、大砲が覗いていたよ。 そう。あなたの想像の通り、 横浜村の端から端までを射程距離にして。 その大砲からは、爆音が轟き、 ハマっ子たちは、肝を冷やした。 (なのばななの描いた画面に、音が入っているので、 ▷印をタップしてね。もう1回、▷印が出るので、 それで、やっと、音が聞ける。) すごい音!地響きがするような。 日本人には、脅しの爆音のように感じるけど、 実はコレ、脅しではなかったの。 正式の、礼砲というもので、 上陸行動の間に、全部で21発、打った。 アメリカ海軍では、 位に応じて、礼砲の回数が定められていて、 その最高位が、国家、または、元首に対してのもの。 つまりは、日本の国家に対して、 敬意を払っての上陸だったのね。 決して、喧嘩を売りに来たのではない。 そんなこともあって、開港後、 横浜に、神奈川台場が作られらる。 正式な訪問国の船が入港した際に、 国際的な慣習に則り、 祝意の大砲を打って迎えるようになったのね。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ こちらが、ペリーが乗っていたポーハタン号。 外輪船が付いてる。 煙突から煙が黙々とたなびいている絵。 燃料は何かと言うと? そう。石炭。正解。 これが、当時は、すごく高価だったらしい。 黒いダイヤモンドとか言われたりして。 だからね、フィルモア大統領は口酸っぱく言ったの。 無駄遣いする...