今日は、9月1日。
103年前の、
大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、
関東大震災が起きた。
ちょうど、お昼ごはんの準備をしてる時ね。
昔は、かまどで、ご飯を炊いたり、
七輪とかで、お魚を焼いたり。
大地震が発生したら、大変なことになるわ。
倒壊した家屋の下で、
この昼ご飯のための火種により、
火災が、同時多発的に起きた。
その日は台風が近づいていた影響で、
関東地方には強い南風が吹いていた。
同時多発した火災がその強風に煽られ、
やがて巨大な火の塊となって渦を巻く。
そんな恐ろしい火災旋風を、想像してみてほしい。
人々は、どうなるか?
庶民の町は、いわゆる吉田新田のあたりで、
大岡川と中村川に囲まれた釣鐘状の土地。
伊勢佐木町の周辺と言ったら、分かるかしら?
ここは、民家や商店、寄席、芝居小屋が立ち並び、
木造家屋が密集しているエリア。
そこへ、四方から一気に火の手が回ったため、
逃げ惑う人々は、
街の中に閉じ込められる形になってしまった。
さぁ、どうするか?
人々は火から逃れようと、
吉田新田の周りを流れる運河の橋へ殺到。
けれど、
四方から押し寄せる猛烈な熱風と火災旋風が、
橋の上をも容赦なく襲い、
多くの人が逃げ場を失って、
川へ飛び込んだり、焼け死んだりしたらしい。
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でも、1つだけ、コンクリートの橋があったのよ。
それは、関内と関外をつなぐ吉田橋。
この橋は、明治の終わり頃に架け変えられて、
コンクリートの橋になっていたの。
この橋を渡った海際の通りは、
外国の領事館や銀行、官庁などが立ち並び、
レンガ造りや鉄筋コンクリートのビルが多かった。
あっちへ逃げれば、助かる。
人々が目指したのは、とにかく火のない広い場所。
関内を抜けた先には、横浜公園があったし、
何よりも広大な海があったから、
水辺に行けば助かるという一心で、
群衆が吉田橋に殺到した。
四方八方から火に追われた何万人もの避難民が、
一斉にこの橋に押し寄せた。
そうなると、どうなるか?🙄
橋の上は身動きがとれないほどの大混雑。
橋の上にいた多くの人々が、
押し出されるようにして転落!😮
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
火災から逃れられる広い避難場所はどこか?
それは、横浜公園。
ここを目指してたどり着いた人も多く、
5万人もの人々が押し寄せたと言う。
でも、公園の回りにさえも、火の海が押し寄せた。
あっという間に、
公園はぐるりと火の壁に囲まれてしまった。
猛烈な熱風と煙が公園の中に吹き込んできて、
人々は、地獄のような暑さを、なんとか耐えぬいた。
5万人の悲鳴が上がる横浜公園、
人々は、どうなったのか?
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
その時、突然、公園内にある水道管が破裂!
大量の水が辺りに流れ出した。
一面、浅いプールや水たまりのようになり、
資料によると、
深いところでは1m以上、
浅いところでも40cm以上の深さまで水がたまった。
公園にいた避難民は、喜んだでしょうね?🙄
冷たい水の中に体を浸したり、
水を頭からかぶったりして、
熱気や火の粉から身を守ることができたらしいよ。
不幸中の幸いと言うんでしょうか?
命拾いの、奇跡の水!
もしも、もしもよ、
水道管が破裂してなかったら、どうなっていた?
東京の被服廠跡地のような、
悲惨なことになっていたかもしれないわ。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
関東大震災の横浜の町の被害の様子を調べるには、
博物館に行ってみると、分かる。
横浜には、神奈川県立博物館や、横浜市立博物館、
開港記念会館、横浜みなと博物館などがあるので、
自分の興味関心に合わせて、お好きな所へ。
⬆️
(青文字は、リンクの印。タップすると、飛びます。)
関東大震災についてもわかるけど、
常設展示で、横浜の歴史が学べる。
船の模型がたくさんあるので、船好きにオススメ。
また、体験型のコーナーもあり、大人も子供も楽しめる。
私がイチオシなのは、VRシアター「みなとカプセル」。
これは、すごいよ。
中に入ると、前や横に映像が映るだけじゃなくて、
天井や床にも映像が見え、
別世界に入り込んだよう。
カモメになって空を飛ぶような気分で、
港の世界が広がるの。
帆船日本丸の歴史や、帆を張る様子も。
一度は、体験してもらいたいわ。
行って良かったと思うこと、請け合い。
太鼓判👤
関東大震災については、
この後、港の被害の様子について記事を書く予定。
乞うご期待。
by ころりん
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