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112 I 国際信号旗:ボンボヤージュの旗とは?

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  港で良く見る、この2枚の旗の組み合わせは、 国際信号旗というもので、ボンボヤージュの意味。 つまり、「安全な航海を祈る」ことを伝えている。 前回、Z旗の話をしたので、 今回は、この2つの旗について、解説するわね。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 左のチェッカー模様は、U旗で、 右の額縁模様は、W旗なの。 それぞれ、1枚ずつ、旗には意味があって、 U旗は、「進路に危険がある」という警告を表し、 W旗は、「医療の助力を求む」という意味合い。 そして、これら2つを上下に並べて掲げると、 「ご安航を祈る」という意味になるの。 本来は、船同士の意思の疎通として、 信号旗が使われているわけだけど、 最近は、お見送りの人々が、 船に対して手旗を振る姿も、よく見られるわね。 映画「コクリコ坂」では、港が見える丘の庭先に、 このUW旗がはためくシーンが印象的だったわ。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ このUW旗の下に、 ペナント風の細長い旗が付くこともあるらしい。 例えば、白地に赤丸の旗。(日本の国旗に似てる) これは、数の旗で、単体では、「1」表す。 でも、UW1と、3枚繋げると、 「ご協力ありがとう。ご安航を。」という意味合いに。 同様に、ペナント風の、数を表す旗で、 青地に白丸は、2を表す。 これをUW2と3枚掲げると、 「ようこそ」という意味に。 まだ、あるの。 ペナント風の、数を表す旗で、 フランスの国旗に似ている、赤・白・青の旗は、 3を表すけど、 UW3と繋げると、「お帰りなさい」を表すんだって。 ちなみに、Uの読み方は、「ユニフォーム」、 Wの読み方は、「ウィスキー」って、言うらしいわ。 雑音が飛び交う帆船時代、 発音の聞き取りを間違わないように、考えたみたい。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 明日は、TVでサッカー観戦。対チュニジアよね。 私は、Z旗を掲げて、応援しようっと。 行け~!サムライジャパン!                             by       ...

51 I 今日は横浜開港記念日

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1859年6月2日の今日、 横浜港が世界に開かれた。 何年前?167年前かな? 横浜では、学校はお休み。 学校では、その前日、 開港を祝って、みんなで市歌を歌うの。 ♪我が日の本は島国よ~     そんな歌い出しで始まる、この歌の作詞は、 なんと、あの森鷗外。 森林太郎という名前でね。 この歌が初めて披露されたのは、 明治42年(1909年)7月1日。 この日、横浜では盛大な祝賀会が開かれたのよ。 開港50周年を祝って。 えっ?なぜ7月1日かって? 開港したのは、 6月2日じゃなかったっけ、って? イイ質問ですね~。 (あれ?誰かに似てきた。😀) いいところに気付いたわ。 それは、暦の違い。 江戸時代は、今と違う和暦を使っていたから。 暦が変わったのは、明治の初頭。 それなので、6月2日に開港で間違いないけど、 その時、外国人のカレンダーは、7月1日。 日本は、暦を変えた時点で、しばらくは、 7月1日に開港を祝っていたけど、 やはり、日本の歴史を重んじるという観点から、 6月2日に戻って行ったようなのね。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ ちなみに、森鷗外がドイツに留学する時は、 小さな波止場から沖合いの船に移って 出発したの。 近代的な大桟橋は、明治27年(1894年)に完成。 のちに、鷗外は 「桟橋」という小説を書き、 その中で、何度も、何度も、こう言っているの。 「桟橋は長い、長い。」 この文章、冒頭部分の数行おきに、 しつこいほど出てくる。 オープンしたての大桟橋に行って、 自分の足で歩いてみての、実感なのかも? 歩いても、歩いても、端まで辿り着かない。 そう感じるほどの長さ。 確かに、私だって、いつも、そう思う。 そして、なんと言っても、 大型船が岸壁に接岸できる、 近代的な設備に圧倒されたに違いない。 羨む気持ちも湧いたことでしょう。 こんな素晴らしい港から 自分も出航したかったなぁ…と。 私の単なる妄想なので、 本当のところは分からないけど、 洋行に横浜港から出発した関係で、 市歌の作詞を頼まれたのでしょうね。 この歌ね、横浜みなと博物館でも聞けるよ。 展示物の中に、ボタンがあって、 市歌が流れて来る仕掛けなの。 横浜の開港の歴史を知りたい方は、 次の博物館で学ぶことができるわ。   ...

17 I 横浜大空襲…みんな知らない衝撃の裏事実

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5月も下旬になってくると、 横浜大空襲のことを思い浮かべ、 戦争が身近な問題として、 いろいろ考えさせられる私…。 3月10日は、東京大空襲、 4月15日は、川崎大空襲、 そして、 5月29日が、横浜大空襲。 メディアで多く取り上げられるのは、 東京大空襲の話。 なので、 横浜に住んでいても、横浜大空襲のことを あまり知らない人が多い。 そういう私も、まだ、生まれていない話で、 横浜育ちでもないので、 しばらくは、知らなかった。 そんな私が、横浜大空襲のことを 勉強してみようと思ったのは、 横浜みなと博物館の ポランティアガイドをしていた時。 常設展示の中に、 戦中戦後の横浜港の様子と、 壊滅的な打撃から、どう復興していくか、 教えてくれる展示物がたくさんあります。 歴史博物館ではないので、 港の出来事を中心に展示に。 空から攻撃は、絨毯爆撃と呼ばれるほどの、 ありとあらゆる場所に行われ、 街の上空写真は、 真っ白な煙で覆い包まれています。 そんな中にあって、 攻撃されていないところがありました。 それは、港の設備。 そして、山手の外国人が多く住む所。 なぜ、港の設備は、残されたのか? その理由は、東京に港がなかったから。 関東大震災の後、 港を作ろうという機運が生まれたけれど、 横浜に比べたら、まだまだ。 大きな軍艦が接岸するなら、 やはり、横浜しかない。 そのため、戦後の交渉をするための、 上陸地点を確保する必要があったのです。 それで、横浜港は、無事だった。     ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ ガイドとして話すのは、そこまで。 でも、自分なりにもっと深く知りたくて、 いろいろな本を読み、勉強しました。 中でも、あっと驚くのが、 横浜の本屋、有隣堂が出版している、 冒頭の写真の本です。 「大空襲 5月29日─第二次大戦と横浜」 私たちが知らない、驚愕の事実を 世に知らしめました。 横浜大空襲の前日、つまり5月28日、 アメリカ軍のある会議で、あることが決まった。 それは、なんと、 横浜が、原子爆弾の投下目標の候補地から、 外されたのでした!! 外れた? と、言うことは、その日までは、 なんと、横浜は候補地の1つだった…という事実。 この本を買って、読んでみるとわかるのですが、 その辺りの経緯が、事細...

13 I 横浜みなと博物館&帆船日本丸

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今日の横浜は、真夏のような日差し。 マリンルックにサングラス姿で、 横浜みなと博物館 に行ってきました。 浜っ子なら、一度は行ってほしい所ですが、 横浜に住んでいても、 え、どこにあるの? と言う人、案外、多いんですよね。🙄 そんな人には、こう言います。 みなとみらいに、帆船があるでしょ。 ランドマークの隣に。 すると、たいてい、 うん、行ったことある。知ってる知ってる。 私は、すかさず言います。 船の前に、みなと博物館はあるのよ。 へぇ~、そうなの?知らなかった。 こんな人が多くて、残念に思う私です。 なぜって、私、つい、2~3年前まで、 そこで、ボランティアガイドをしていたから。 みなと博物館では、 横浜港の歴史や 生糸貿易、築港の技術、 最新の港湾情報など、常設展示しています。 館内には、船の模型たくさんあり、 マニアはそれを眺めるだけでも楽しいのですが、 誰もが楽しめるのは、VRシアターみなとカプセル 中に入ると、 視界のすべてが仮想現実空間となり、 まるで、自分が鳥になって、 自由に、横浜の上空を飛んでいるような、不思議な浮遊感があるの。 また、普段、私たちが入ることができない場所を 自由自在に見せてくれるので、 これは、自信を持ってオススメします。 また、年に数回、 特別に、企画展もやってます。 今は、何をやってるかな? 左のチラシは、 企画展「平成の横浜港客船コレクション」 右のチラシは、 見学の最後の場所にある、 柳原良平アートミュージアムの特別展示。 「にっぽん丸引退記念     柳原良平が描く     クルーズ船にっぽん丸展」 柳原良平さんって、関西の出身だから、 やはり、商船三井のにっぽん丸は、 好きだったみたい。 私、内外のいろいろな船に乗って、 クルーズを楽しんできたけど、 残念ながら、一度も乗らずじまい。 この船は、お料理が美味しいと評判の船。 世界一周するなら、 やっぱり、日本船がいいと思うけど、 外国船に比べて、日本船は小さいので、 料金が高くて、 ショートクルーズならともかく、 ロングクルーズは手が出ないのよね。 でも、にっぽん丸の後継船にも、 乞うご期待。 きっと、お食事の美味しさは、 ちゃんと受け継がれる。 ✳️...