323A スポーツの日&思い出の父
今日は、10月10日。
昔は、体育の日で、祝日だった。
1964年(昭和39年))、10月10日、
東京オリンピックが開会されたのを受けて、
その後のスポーツの振興発展を願って、
体育の日は制定された。
実は、この日、私の父の誕生日で、
父は、祝日となったことで、大いに喜んだ。
自分の誕生日を国民皆が祝ってくれる、と。😮
まさかね~、そんなわけない。🤪
でも、父は運動神経抜群で身体能力が高かったから、
誕生日と体育の日が重なるのは、
偶然ながらも、良い取り合わせだと、私は思った。
父が生まれたのは、1916年(大正5年)で、
生きていれば、ちょうど110歳。
日本で最高長寿レベルの年齢ね。
生きている可能性がないわけではなかったけど、
父は、80歳で亡くなった。
男の人の平均寿命からすれば、まずまずの往生か。🙄
母は高血圧だったから、69歳で亡くなったけど、
父は、どちらかと言うと、低血圧。
心臓も強そうだし、
案外、長生きするんじゃないかと、私は思っていた。
長生きの素質がありながら、そうならなかったのは、
第一に、孤独。
母が、心臓の病で突然死して以来、
不本意ながら、一人暮しの寂しい生活になった父。
母の3回忌までは、
その準備などで忙しく立ち働いていたけど、
やるべきことがなくなった時、
心にぽかんと、空白が生まれたのかもしれない。
私も、休日の度、横浜から通い詰め、
毎日、朝晩の電話を欠かさなかったけど、
それでも、心は満たされなかったのだと思う。
週に1度お手伝いしてくれる人が見つかり、
父は嬉しかったと思うけど、
支援は、まだまだ、足りなかった。
私は一人暮らしに慣れているので、
誰ともしゃべらない日常が続いても、
何か大きな影響があったりはしない。
でも、父にとっては、とても大きな痛手。
食卓に座っても、隣の椅子に母はなく、
テレビを見ても、隣で相槌を打ってくれる人はなく、
寝室に行っても、隣のベッドは空っぽのまま。
亡くなった人の余韻というか、
痕跡がある部屋に、家に
そのまま住み続けることの、辛さ。
私の想像を超えて、
父の精神が病んで行ったのではないか?
しばらくして、父は、いつもの習慣が崩れ、
起床して、真っ先の朝刊読みもしなくなり、
洋服の着方が分からなくなり、
年賀状の返事も書けなくなった。
認知症が進むと、性格が怒りっぽくなったり、
乱暴な言動を繰り返すケースが多いらしいけど、
父は、穏やかで優しい性格を保ち続けていた。
長生きできなかった理由の2番目は、栄養状態。
今思うと、
スーパーで買い物することに慣れていなくて、
きちんと3食、ご飯が食べられていなかったのかも?
週に一度のお手伝いさんの手料理で、
生きながらえて来たのかもしれない。
そして、3番目の理由は、運動不足。
父は、趣味が広く、書道や囲碁、盆栽の他、町内会の
仲間とゲートボールと楽しんでいた。
これが続けられたら、孤独も解消したと思うけど、
だんだん億劫になって、出歩かなくなり、
脳への血流も不足していたのかもしれない。
父は、本当は、もっと長生きできたはず。
でも、今さら、こんな分析しても意味がない。
ただ、父を教訓に、
私自身が健康で長生きできるように努力しないとね。
孤独にならないこと、それが一番の長寿の秘訣。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
父の話は、8月の終戦記念日特集として、
その戦争体験について、3回連続で記事を書いた。
壮絶な体験で、
命は残ったものの、片足を失って、
なんとか戦後の世の中を生き抜いてきた。
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
そんな過去も知らなかった、小一の私。
ある日、前沢町の丘の上にある中学校の辺りまで、
父と一緒に散歩していると、
目の前に、高い鉄棒が現れた。
父は私を抱き上げ、鉄棒にぶら下げてくれたけど、
私には筋力がなくて、すぐに落ちてしまった。
がっかりしていると、
父は、いきなり、鉄棒に飛び付き、
ぶら下がりの懸垂の姿勢から、
マッスルアップして、腕立ての姿勢となった。
それで終わりかと思ったら、
今度は、足を後ろへ大きく振って、
その勢いで、ぐるりと回転。
もう、終わりかと、見守っていると、
ぐるんぐるんぐるんと、
なんと、大車輪が始まった!
その後、
静かに、そっと、姿勢を保ちながら、降りてきた。
なんじゃ、こりゃ?!
お父さん、何者なの?
呆気に取られて、私は、何も声に出ず、
父も、何気ない普通の顔をして、
また、歩き出した。
子ども心に、
お父さんだからできた、
大人だからできた、と自分に言い聞かせてみたけど、
そんな訳がない。
大人が皆、大車輪?!
できっこ、ないでしょう!
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
あれは、夢だったのか?
いや、そうではなかった。
驚きの出来事は、また、あったのだ。
前沢町から水沢市に引っ越してきて、
ある日のことだった。
街中に電柱と路上を結ぶ、
斜めのワイヤーロープがあって、
電柱をしっかりと支えている。
その斜めのワイヤーに、
父が、突然、ぶら下がった。
かと思うと、片腕を離して、上へ。
一方の腕も離して、上へ。
あれよあれよと言う間に、上まで上り詰め、
皆が気付くと、
また、片腕ずつ、下へ下へと降りてきた。
何やってんの、お父さん!
お巡りさんに怒られるわよ!
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
小四の、真面目な私は、
そんな危険なことをしては行けないと、
父をたしなめたのだけど、(笑)
あれは、一体、何だったのか?
私の父は、普通の人で、
ふざけて危ないことをしたりするような人ではない。
鉄棒やワイヤーロープを見て、
なぜか、飛び付きたくなる衝動に駈られた。
昔、そういうことをしたことがあるからではないか?
としたら、
おそらく、戦争の前の、海軍航空隊での訓練?
体を鍛えるためには、いろいろなことをしたと思う。
では、海軍の兵士は、誰でも出きるかと言うと、
そうではない。
腕で全体重を持ち上げ、上へ登る動作は、
腕力だけでは出来ない。
体全体の調整能力が必要で、結構難しい。
私は、家に、ぶら下がり健康器具があるので、
懸垂ができたら良いなと思うけど、
懸垂すらも出来ない。
youtubeで、鉄棒で鍛える動画を良く見るけど、
男性でも、懸垂は難しい、と知った。
その上を行くマッスルアップは、さらに至難の技。
だから、オリンピック選手でも何でもない、素人が、
鉄棒で大車輪するなんて、あり得ない!
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
そんな父の思い出を振り返ると、
もしも、平和な時代に生まれていたら、
父は、体操選手になっていたかもしれないと、
本気で思う私なのだ。
いや、水泳も得意だったし、
体操以外にも、可能性はいろいろあったと思う。
野球の試合をテレビで見るのが好きだったけど、
父の青春時代は、全てが戦争と共にあった。
スポーツができるというのは、平和の証。
平和な時代に生まれていたら、
父は、野球の道に進んだかもしれない。
走るのがとても速かったし、
筋肉の使い方が旨いから、投手でも行けたかも?
父は、戦争で片足を失ったからと言って、
スポーツが出来ない体に、いつまでも嘆いたりせず、
テレビで長嶋選手を応援するのを、喜びとしていた。
時代が変わって、今や、大谷翔平。
父が長生きして、大谷翔平を見ていたら、
狂喜乱舞で、応援に夢中だったかもしれない。
だって、我らが奥州市の、宝の人材だから。
だから、私、仏壇に手を合わせながら、
ドジャースが地区優勝したことを報告したの。
ワールドシリーズに出て、連覇しますようにって。
大谷さんは、怪我の後が心配だけど、
彼は、自分のことより、チーム第一の人。
この間は、ロバーツ監督に、
自分を7番にしてくれって、申し出たらしいわ。
でも、そうはしなかった。
いい時だけでなく、悪い時にも、寄り添う監督。
信頼感があるんだな~。
MLBワールドシリーズは、今月の23日から。
日本時間では、24日(土)よ。
でも、その前に、
チャンピオンシップ・シリーズを勝たなくてはね。
頑張れ~、ドジャース!
ワールドシリーズへ上り詰めろ!
by ころりん
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