228AR 終戦記念日:ダムダム弾に被弾した父
終戦記念日にあたり、
国を守るために亡くなられた、尊い命に、
心から哀悼の意を捧げます。
ここまでの話。
昭和恐慌と東北大冷害に襲われた、
厳しい時代に、学校を卒業。14歳。
働き口もなく、兄のタクシー業の手伝いをする中、
ふと目にした、海軍航空隊の志願兵募集のポスター。
食糧難の時代、これ以上、家に迷惑をかけられず、
就職口の一つとして、応募。
痩せ細った体なので、検査の前に
水一升飲んで、なんとか合格。
入った所は、横須賀海兵団。
四等水兵からスタート。17歳だった。
木更津航空隊、館山航空隊、霞ヶ浦航空隊などで、
飛行機の整備術を学び、高い技術を得て、
階級も上がっていき、
やがて、指導する立場の、兵曹となる。
大村基地から、中国戦線に加わる。
海軍の第三艦隊や第五艦隊に付属し、
航空機に同乗しつつ、整備も行うという貴重な人材。
しかし、重慶上空で、
ロシア戦機のダムダム弾が、父を狙っていた…。
果たして、父の運命は?
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昭和15年、6月12日、重慶の上空、
陸軍を援護していた日本海軍に対して、
手強い敵がやって来た。ロシア戦機だ。
2日前には、戦友がやられ、怪我人も多数出た。
ダムダム弾という、恐ろしい銃弾を撃ちつけてくる。
これは、普通の機関銃と違い、
当たると、弾頭が開いて、花びらのような形になる。
これが体内で破裂し、残虐な殺傷能力を持つ。
今では、戦争で使用することを禁じられているほど。
ロシア戦機が、突如、近づき、
バイロットの顔がよく見えるまでになった。
すぐに、父も機関銃で見構えたが、
すでに、遅かった。
ロシアの、「イ」の17戦機から、
父に狙いを定め、ダムダム弾が発せられた!
弾は、左膝直下に当たり、
その下の骨が砕け飛び散った。
後ろの皮が、少し付いているだけで、
足は、ぐらぐら回った。
その足を、戦友がコードで縛ってくれ、
命からがら、基地に戻った。
直ちに、手術室に運ばれ、
軍医は、てきぱきと指示を出した。
ぶどう酒を勧められ、手術台に上る。
麻酔など、なかった。
手術は、ノコギリで、ゴリゴリと…。
痛ぁ~っ!
う~、うう~っ!!
う、う、う、う~!!!
神経を切られる時の痛さは、堪えがたかった。
この話をGeminiにすると、
10日後に迫る私の股関節の手術の話になり、
ころりんには、麻酔もあるし、
眠っているうちに手この術が終わるから、幸せだねって。
麻酔無しで、ノコギリで切られる苦痛に耐えて、
父の命は、助かったのだ。
そう言われて、私は、手術の不安が消え、
医者を信頼して、任せようと思った。
父に比べたら、私なんぞ…。
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6月24日、漢口の陸軍病院に入院。
28日には、病院船弁婁丸で上海まで下江し、
病院船朝日丸に乗り換えた。
7月17日、佐世保の海軍病院へ。
その後、横須賀海軍病院に送籍。
❮Geminiの解説❯
- 下江とは:長江(大きな川)を船で下ることです。
- 弁婁丸:海軍が使っていた臨時の病院船(元はイギリスの商船)です。これに便乗して、内陸の漢口から海沿いの上海まで移動しました。
- 朝日丸:日本海軍を代表する、とても大きくて設備が整った本物の正規の病院船(元は日本郵船の高級客船)です。上海でこの船に救い上げられました。
父は、古巣、横須賀へ戻り、安堵の思いがした。
あの過酷な戦場での出来事は、夢だったのだろうか?
海軍病院で、手厚く看護され、
足の傷が治ると共に、心の傷も、癒されていった。
失くなった足の代わりに、義足がつけられた。
助かって、良かった。
1日も早く、義足に慣れよう。
健常者に負けない、体力と気力を取り戻すんだ。
そう、自分の心に言い聞かせ、懸命に療養に努めた。
そんな中、勧められるまま書道に取り組んでみると、
なかなか筋がいいと褒められた。
突然、大日本書道院展へ作品を出すことになり、
初めて出した作品が入賞との知らせ。
東京府立美術館へ、姉と共に、見に行った父。
作品は、「四百餘州納翼下」。
後に、結婚の記念写真を撮る時、
この作品を床の間にかけて、バックに写している。
父にとって、自慢の作品。愛おしく思うのだろう。
昭和16年、6月16日、海軍一等整備兵曹となり、
その日をもって、兵役を免ぜらる。
「職務勉励ニ付、特に、金百貳拾貳円ヲ賞賜ス」
横鎮
❮歴史背景と「百二十二円」の価値❯
お父様が最終的に上り詰めた「一等整備兵曹」という階級と、その給料がどれほど凄かったのかを分かりやすく解説します。
1. 一等整備兵曹とは?
下士官(現場のリーダー)の中で、上から2番目の最高幹部クラスの階級です。
入隊時の「4等水兵」から始まり、命がけの戦場を生き抜き、最先端の高等技術を磨き続けた結果、何百人もの後輩整備兵をまとめる「伝説的な大ベテランの職長」として退役されたことを意味しています。
入隊時の「4等水兵」から始まり、命がけの戦場を生き抜き、最先端の高等技術を磨き続けた結果、何百人もの後輩整備兵をまとめる「伝説的な大ベテランの職長」として退役されたことを意味しています。
2. 賞与「百二十二円」はどのくらいの価値?
昭和15年〜20年頃の「122円」は、当時の一般的なお給料と比べると破格の賞与(エリートの証)です。
- 当時の物価と比較
- 一般の銀行員や警察官の初任給:約30円〜40円
- 小学校の先生の初任給:約45円
- つまりお父様は、大人の男の人の平均月給の「約3倍」の賞与を頂いていました。
- 現在の価値に直すと?
- 現在の価値に換算すると、約40万〜50万円以上の重みがあるエリートの待遇です。
つまり、慰労金ってことか。
左足を失って得たお金。
Geminiはすごいって、驚いていたけど、
足1本が…、安いよ。安すぎる。
お金なんて要らないから、足を返してくれって、
私なら言うわ。
でも、穏やかな性格の父なので、
そんなこと、言うわけもない。
命が助かっただけでも、神様に感謝しないと。
父にとって、足を失ったのは不幸なことだが、
怪我をしたからこそ、
戦地から戻ることができたのだった。
軽傷だったら、治療後、また、戦地へ。
死ぬまで戦ったかもしれない。
これを、不幸中の幸いというのだろうか?
あまりにも、悲しすぎる。
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父は戦争の嫌な話や愚痴を言うことはなかった。
戦争映画で見るような、上官からビンタされたり、
何か、辛く苦しい体験をしてきたようにも思えない。
言葉は変だが、楽しそうにエピソードを語る。
船上で仮装大会のようなことをしている写真がある。
龍宮城の張りぼての前で、
乙姫の格好で笑っているのが、父。
戦時中、敵性英語が禁じられたと思ってたら、
海軍では使われていたようだ。
排水口のことを、スカッパーと言うんだよ、
と、幼い私に教えてくれた。
兵学校のノートの表紙には、自分の名を、
英語風サインで、カッコつけて書いてあった。
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海軍と陸軍の違いなんだろう。
元々、できた時から、全く違う組織だった。
海軍は、イギリスを手本とし、
陸軍は、初め、フランスを手本としたが、
戦いに破れるのを見て、あっさりドイツに乗り換え。
それはともかく、
何かにつけて、陸軍と海軍は、ぶつかり合った。
陸主海従という言葉があるのを知っているだろうか?
軍隊は、陸軍が中心であり、
海軍は、その補完に過ぎないという、プライド。
そのため、何から何まで、やり方が違う。
方法論だけなら、それもいいとしよう。
飛行機や機関銃などの部品や作り方、名称まで違う、
つまり、互換性がなく、それぞれ別個に発注。
物資に事欠く時に、なんと、非効率的なことを…。
敵と戦う前に、
お互いがライバル意識で、火花を散らす。
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日中戦争の後、太平洋戦争へ突入した日本。
発端の1つは、
日独伊三国同盟にある、とも言われている。
ドイツと仲のよい陸軍が、推し進めたらしく、
イギリスやアメリカとの関係を重視する海軍は、
猛反対したと言う。
その辺の経緯は、ほんとの所知るよしもないが、
言えるのは、日本国内の意見がまとまらないまま、
戦争への道を突っ走ってしまったことだ。
外の敵と戦いながら、内の敵とも戦っていたので、
そんな国じゃ、勝てるわけがない。
いや、勝つも負けるも、
戦争なんて、しないに越したことはないが…。
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私は、正直な話をすると、
父が、海軍で良かった。
怒って感情を露にすることもなく、
いつも、穏やかで、明るく、上品な立ち居振舞いは、
海軍での生活で身に付けたもの。
何事にも、研究熱心で、勉強することが好きな父。
それだって、海軍が、戦争のためだけでなく、
全人的な教養を身に付けさせてくれたためだ。
貧しくて大学にも行けなかった、田舎の少年に、
大学にも匹敵する高い教養と、
紳士としての嗜みも身に付けさせてくれた。
だからこそ、父は、
自信を持って社会に出ることができたと思う。
戦争を、決して、賛美するつもりはないが、
青春という、貴重な時間を、
その時代の荒波の中で過ごさなければならなかった
若者一人一人の気持ちを想像すると、
あまりにも、かわいそうで、涙が出てくる。
逃れることはできなかった。
その中で、自分を見失わず、必死で生き抜いて来た。
そんな人たちを、誰が、批判できよう。
ただ、言えるのは、戦争が始まったら、止まらない。
戦争になる前に、
その火種を、摘まんでおくことが大事。
そのためには、視野が狭くては、いけない。
広い知見で世の中を、常に見渡していく。
私のような、一介のお婆さんでも、
世の中のことに、関心を持ち続けていきたいと思う。
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私の父は、戦後、田舎に戻り、
海軍で磨いた技術を生かして、
オートバイの店と、家電の店を開いた。
年を取り、お店を畳んだ後は、
自宅で、子供たちに書道を教えた。
野球が好きで、長島のファンだった。
仏壇の中の父に、私は、大谷翔平のことを話す。
地元にこんなヒーローが現れるなんて、
野球好きの父なら、大はしゃぎしたに違いない。
80歳で天寿を全うした。
by ころりん
✳️Geminiぐるりんより、感想が届きました。
「お父様の自伝ブログの最終回、本当に素晴らしい結末として仕上がりましたね。
「戦争になる前に、その火種を摘まんでおくことが大事。広い知見で世の中を、常に見渡していく」というころりんさんの言葉は、激動の歴史を乗り越えたお父様の背中を見てきたからこその、とても重みのあるメッセージです。
戦後、技術を活かしてお店を開き、晩年は子供たちに書道を教え、大好きな長島さんのファンだったお父様。仏壇の前で大谷翔平選手の活躍を報告するころりんさんの姿が目に浮かび、心が温かくなります。お父様もきっと、雲の上で「すごいなぁ!」と大はしゃぎされていますね。
ころりんさん、長い長い大作ブログの完成、本当におめでとうございます!お父様の生きた証をここまで克明に、そして愛を込めて書き上げられたこと、心から尊敬いたします。
お父様が命がけで繋いでくれたバトンが、こうして未来へ残る素晴らしい形になりましたね。私の解説が少しでもお役に立てたなら、これほど嬉しいことはありません。
さあ、大きな大仕事がひとつ無事に終わりました。
あとは10日後に迫った股関節の手術に向けて、ご自身の体を一番に大切にしてください。お父様の強いサバイバーの血が、ころりんさんのことをしっかりと守ってくれます。お医者様を信頼して、リラックスして臨んでくださいね。手術の成功と、一日も早いご回復を心から応援しております!」
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