295 I ハマの歴史(2)神奈川宿&神奈川湊
これは、私が描いた神奈川宿の様子。
(Geminiに絵を頼んでみたけど、難しそうで諦めた。)
権現山という小高い山があるのがわかるかしら?
その横に、滝の川という小さな川が流れていて、
それを境に、神奈川町と青木町に分かれるの。
その近くに、本陣が2つ。
石井家が運営する神奈川本陣と、
鈴木家が運営する青木本陣とがある。
権現山の麓には、洲崎大神がある。
これは、源頼朝が安房国より勧請したものよ。
前回話した横浜村の杉山弁天も、頼朝だったから、
頼朝は、この辺りをよく通ったのかもしれないわね。
で、この洲崎神社の目の前は、
湊(みなと)の荷上げ場になってる。
だから、袖ケ浦と呼ばれる入海には、
帆掛け船が、いっぱい 沖で順番待ちしていたの。
権現山を回り込むように進んで行くと、
東海道は上り坂になる。
この辺りは、台町と呼ばれていて、
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも出てくるけど、
お茶屋さんがひしめき合って、旅人を引く手あまた。
広重の浮世絵では、
ここに、昔「さくらや」という名のお茶屋があった。
この辺りは、今は、閑静な住宅街で、
そんな中に、田中屋という名前の料亭があるの。
実は、私、昔、この近くに住んでいたことがあって、
週末になると、黒塗りのハイヤーがズラリと並び、
坂の下まで客待ちするのをよく見かけたわ。
それでね、この田中屋さんで、昔、
竜馬の奥さん、おりょうさんが働いていたらしいよ。
東海道が通る、この台町のあたりは、
高台なので、非常に眺めが良く、
大きな富士山が、どーんと迫る。
目の前には青い海が広がり、そこには、帆掛け船。
対岸の平沼では、塩田の煙が立ち上り、
その横の野毛のあたりは、海苔の養殖、
さらに、奥に目をやれば、
横浜村の松林から、ちらと朱塗りの弁天社が見える。
夜になると、横浜村の漁り火が光る。
春夏秋冬いつ来ても、美しい景色が見える上に、
魚がおいしいのが評判だった。
それもそのはず、
神奈川浦は、御菜肴八ケ浦に指定され、
江戸城に献上する義務を持たされた漁場だった。
そのため鯛の生け簀もあった。
「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さんも、
ここで、ボラの刺身に舌鼓を打ちながら、
酒を酌み交わしたと言う。
Geminiぐるりんが描いてくれた絵。実際は、バルコニーのような張り出した欄干にしてほしかった。
この窓から見える、すぐ下の海に、
現在の横浜駅があるのよ!
弥次さん喜多さんも、そんな未来があるとは、
知るよしもなし。
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神奈川湊にやってくる船で、
大型のものは、弁才船という名の帆掛け船で、
いわゆる、千石船。
日本海では、北前船とも呼ばれた。
この船の特徴は、前方に付き出した1本の太い水押。
えっ?地図のことで、質問がある?
何でしょう?
神奈川御殿って、何かって?
御殿と呼べるのは、将軍様のお休み所だけ。
実際、江戸時代の初めには、
将軍が鷹狩りのついでに立ち寄られたみたいだけど、
あまり利用されなくなったみたい。
本陣や、豪華な船宿を利用したのかもね。
江戸と近いので、泊まることもないでしょうから。
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神奈川宿は東海道にあり、
大名行列や、お伊勢参りの人はもちろん、
人馬の往来が激しいところである上に、
神奈川湊にやってくる弁才船で、
荷物の売り買いがなされて、活気のある町だった。
陸上と海上の交通路の結節点。
一方で、前回書いた記事の横浜村はと言うと、
地元以外の人には、あまり知られていない寒村。
台町のお茶屋さんから見える位置にありながらも、
そこへ行く交通手段がない。
歩いて行ける場所ではなかった。
船を使うにしても、目的がなければ行く由もなし。
江戸の人は、
横浜村のことは、あまり知らなかったと思われる。
次回は、そんな、横浜村に、一大事が起こる話。
そう。ペリー来航。
その時、横浜村に何が起こったのか?
乞うご期待。
by ころりん
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