225AR 終戦記念日:海軍航空隊の整備兵となった父
終戦記念日にあたり、 国を守るために亡くなられた、尊い命に、 心から哀悼の意を捧げます。 私の父は、海軍の航空隊に入り、 整備兵としての道を歩みました。 父の人生において、戦争とは、何だったのか? 残された資料から、 その足跡を探ってみたいと思います。 これは、日記帳と、お守り。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 父が70歳の時、古希の祝いをした。 自伝をまとめ、出席した客人に配った冊子が、 ここに、ある。 私が手書きで書いたものだ。 父は、大正5年10月10日、 北見の国、紋別郡上湧別村字開盛の生まれ。 北海道でも寒さ厳しい所で、 氷点下30度にもなったと言う。 父は、「堅雪(かたゆき)」の話をよくしていた。 降り積もった雪がカチカチに固まり、 靴でその上を歩いても、沈むことがなかったと言う。 家のそばには、小川が流れていて、 音を立てて昇ってくる鮭を捕まえては、大はしゃぎ。 荒馬を厩から連れ出しては、野山を闊歩するなど、 大自然の中で、のびのび子供時代を過ごしたようだ。 2年生の時、内地に戻る。 父の実家は、東磐井郡生母村母体。 屋号を「問屋(とうや)」と言い、 広く穀物を扱う店を営んでいたらしい。 養蚕もやっていたようで、 父は、桑摘みの手伝いをよくさせられたと言う。 北海道で自然児として育った父は、スポーツ万能で、 子供たちは、自慢話をよく聞かされたものだ。 4年生の時、北上川を泳いで渡りきった話や、 徒競走では、6年生の一番速い人を追い抜いた話。 絵もうまかったらしくて、 自由画の点が「甲の上の上の上」だったとか。 当時、最高点と言えば、「甲の上」。 この上ない評価に、父も有頂天になったみたいだ。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ そんな天真爛漫な野生児が、 なぜ、17歳にして、志願兵となったのか? 徴兵は、20歳。 3年も早く、志願するに至った事情を知るには、 当時の時代背景を知らなければ、理解できない。 高等小学校を卒業したのは、 昭和5年、1930年で、14歳だった。 この年、日本国内は、何が起こったか? 前年から始まった、世界恐慌の波が襲ってきた年だ! 日本からアメリカへ輸出した、生糸の価格が大暴落。 値段が3分の1になった! それが昭和恐慌の発端となり、世の中は...