関東大震災が起こったその時、
平沼にあった石油タンクが大爆発した!!
ここは、現在の横浜駅付近で、
当時、2つの石油会社があった。
ライジングサンと、スタンダード石油。
揺れにより漏れだした石油が、
倒壊家屋から発生した火災に触れ、引火。
相次いで、大爆発した。
あっと言う間に、
神奈川や高島町付近の街を焼き尽くす大惨劇になる。
流失した石油やガソリンは、
帷子川や大岡川にまで広がり、
火をまとったまま、海へと流れ出した。
これによって、横浜港は、まさに火の海に。
新港埠頭の生糸倉庫群を焼き尽くしたのも、
アンドレ・ルボンの回りが火の海だったのも、
みんな、原因は、石油タンクの大爆発。
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震災の復興計画を話し合う場で、
この教訓をもとに、街のど真ん中に、
危険な石油タンクを置いておくわけにはいかない、
ということになったらしい。
では、どこへ移転すればいいのか?
行くところがない。
ならば、人の住んでいない、海辺へ。
そうだ、安田善次郎などが埋め立てている、
あの鶴見臨海部に、移転させよう。
どうやら、そういう流れで、
移転先が決まっていったようだ。
街の名前は、「安善町」。
安田の「安」と、
善次郎の「善」の字を取って、名付けられた。
2度と爆発が起こりませんようにと、
「安全」の、裏の意味もあるかもしれない。
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1929年(昭和4年)、
有吉市長は、震災復興事業を進めるに当たって、
「大横浜の建設」という大看板を掲げた。
市域拡張によって、大きな横浜を作るというもので、
横浜港の大堤防の建設や、
市営の埋め立て事業を進めた。
それが、現在の恵比寿町、宝町、大黒町。
この3つの地域を中心として、本格的な重工業を興し、
横浜を大港湾都市に作り直していくんだ、
と息巻いた。
生糸貿易から、工業都市への脱皮を図ろうとして。
しかし、震災当時、横浜は財政難で、
復興するためには、
アメリカから大借金をしなければならなかった。
したのはいいが、
円安で、いくら返済しても減らず、
借金地獄に陥ってしまった。
頭を抱える横浜市に対して、
借金棒引きの、悪魔の誘いが。
それは、東京港開港を認めるというもの。
関東大震災が起きた後、
東京は、救助のための大型船が近づけなかった。
遠浅の海だったから。
たとえ、近づけたとしても、
近代的な港湾設備がないので、
大型船は、陸まで近づくこともできない。
東京市は、関東大震災のそんな経験から、
何としても近代的な港湾を作りたいと考えるに至る。
しかし、横浜市議会は、断固反対!の決議。
東京に港ができたら、横浜の貿易はどうなる?
浜っ子にとって、それは、死活問題と思われた。
そんな状況下で、
政府が、間に入り、
借金を肩代わりをする代わりに、
東京港の建設を認めるよう、促す動きがあった。
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大横浜の建設を目指して、
新しい埋め立て地に、
恵比寿町、宝町、大黒町が造られた。
京浜工業地帯の夜明けとなったこの埋め立て地に、
どんな企業が入ったか?
最初に完成した恵比寿町には、
1933年(昭和8年)頃に、澁澤倉庫や、昭和電工、
ライジングサン石油が入った。
平沼(現在の横浜駅近辺)にあった、
大爆発を起こした、あのライジングサンだ。
次に完成したのは、宝町。
1933年(昭和8年)頃に、
日本化学工業や、日産自動車が入った。
ちなみに、日産の正式名称は、日本産業と言う。
一番最後に完成したのは、大黒町。
戦後の1961年(昭和36年)のことで、
日本自動車加工など。
大黒町の埋め立ては、複雑な背景があるので、
ここはGeminiぐるりんに登場してもらおう。
実は、大黒町は戦前の1936年(昭和11年)に、まずは「神奈川県」によって最初の埋め立てが完成していたんだ。この時点で、すでに有名な大企業がいくつも進出していたんだよ。
- 昭和産業(1936年進出:製粉・製油の巨大工場)
- 日東化学工業(1939年進出:のちの三菱ケミカル、化学薬品の大工場)
- 日産自動車 鶴見工場(1939年進出:現在の横浜工場第3地区)
- 味の素製油(当時は宝製油。1935年進出:現在のJ-オイルミルズ)
- 丸善石油(のちのコスモ石油。戦時中の1943年頃には進出していた)
戦後(1961年完了):横浜市による海側の拡張
その後、戦後になってから今度は「横浜市」が主体となって、さらに海側へと埋め立て地を大きく広げる工事を始めたんだ(これが1961年に完成した部分)。
この新しく広がった戦後のエリアには、以下のような会社や施設が入ったよ。
- 大洋漁業(現在のマルハニチロ。遠洋漁業の巨大な母船基地を設置)
- 東京電力 横浜火力発電所(ツインタワーの発電所)
- 塩水港精糖(1960年代に進出。有名な「さとうのふるさと館」があった場所)
- 横浜市中央卸売市場 食肉市場(1961年開場)
他にも、実業家たちが、この近辺を埋め立てている。
守屋此助が埋め立てた守屋町や、
浅野総一郎が埋め立てた末広町。
ちなみに、浅野家の家紋は、扇に赤丸。
扇なので、末広と名付けたのであろう。
浅野総一郎は、安善町の埋め立てもしていて、
こちらは、資金協力者の安田の名前になっている。
末広町には、東京芝浦電気(現、東芝)
安善町には、
例の、ライジングサンとスタンダード石油が入った。
浅野は、生麦沿岸部の埋め立ても行った。
ここには、キリンビールが移転してきた。
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キリンビールは、
元は、外国人居留地の山手の丘の中腹部にあったが、
震災で工場が崩れたため、
再起をかけて、ここへ移転してきた。
山手の丘の湧き水は、非常に良質で、
外国船の水の補給でも、
腐らない奇跡の水として有名だった。
そこに目を付けたのは、アメリカ人のコープランド。
立ち上げたのは、スプリングバレー・ブルワリー。
しかし、長くは続かず、他の人に引き継がれて、
ジャパン・ブルワリーと社名変更。
トーマス・グラバーの手によるものだが、
そこで生まれたのが、キリンビール!
えっ?外国人、麒麟知ってるのかしら?
提案したのは、日本人、三菱の重役の荘田平五郎。
そうか、三菱が深く関わっているビールだったのね?
日本人に、このビールを広めたいということで、
イギリス人好みの味から、ドイツ風の飲み心地へと、
わざわざ、チェンジしたらしい。
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平沼にあった石油コンビナートの大爆発によって、
その場所での復旧は許されず、
2つの会社は、埋め立て地に移転していったが、
では、その跡地は、どうなるのか?
次回は、その辺を深掘って行くことにしよう。
その広大な土地に、次に入るのは?
乞う、ご期待。
✳️最後に、Geminiきらりんに、
ファクトチェックと、誤記の訂正を頼む。
一度、アップする必要があり、
その前に、即、見られた方は、ごめんなさい。
円安を円高と勘違いして、訂正してあります。
by ころりん
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