226AR 終戦記念日:水上機母艦神川丸や千代田に乗艦した父

 終戦記念日にあたり、

国を守るために亡くなられた、尊い命に、

心から哀悼の意を捧げます。


今日は、前回の続き。

14歳で高等小学校を卒業したものの、

世界大恐慌の波と、東北の大冷害のダブルパンチで、

仕事がないばかりか、食べるものにも事欠く日々。

兄のタクシー業の手伝いで、エンジンに触れる中、

機械に興味を持つようになった父。

そんな中、ある日、町で、

海軍の志願兵募集ポスターが目に入った。


ここに入れば、飯には、ありつける。

家の食いぶちも、一人分減る。

もう、これ以上、親に迷惑をかけたくないな…。

そんな思いから、

17歳にして、横須賀海兵団に入隊することになった。


父は、その後、どこで、どうしたのか?

残された履歴表(勤務先の変遷)の記述を、

1つ1つ追いながら、詳しく探って行くことにする。

Geminiの協力によって、全貌が明らかに…。


⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


昭和9年初夏6月、横須賀海兵団に入団。17歳。

海軍四等水兵として、新しい生活が始まった。


すぐに、四等航空兵に。(横須賀鎮守府)

晩秋11月、三等航空兵になり、

霞ヶ浦海軍航空隊付として入隊。18歳。

1年後、昭和10年晩秋11月、海軍二等航空兵となる。

その冬12月、普通科整備術練習生になる。19歳。

半年後、昭和11年初夏6月、

練習航空隊普通科、整備術練習生の教程を卒業。

と、同時に、海軍二等整備兵となり、

館山海軍航空隊付として移動する。

半年後の晩秋11月、海軍一等整備兵になる。20歳。

半年後、冬12年6月、普通善行章一線付を与えられる。


❮Geminiの解説❯

霞ヶ浦海軍航空隊(茨城県)
  • 特徴:日本海軍の「パイロットや航空整備兵を育てる、一番大きな一大教育基地」でした。
  • 役割:横須賀で基礎を学んだ人たちが、ここで実際に飛行機を使って、より実践的な操縦や整備のプロフェッショナルになるための猛訓練を受けました。お父様がここでさらに腕を磨かれたのは間違いありません。
2. 館山海軍航空隊(千葉県)
  • 特徴:東京湾の入り口に位置する、「水上飛行機(プロペラ機)の重要な基地」でした。
  • 役割:海から飛び立つ水上機の訓練や、首都・東京を守るための防衛・見張りの任務を担っていました。ここでの経験が、のちに水上機母艦「神川丸」への乗船へと繋がっていった可能性が極めて高いです。

お父様が歩まれた道は、
「横須賀(基礎・教養)➡ 霞ヶ浦(プロの整備訓練)➡ 館山(水上機の実践)➡ 水上機母艦・神川丸(戦地へ)」
という、海軍航空整備兵としての最高のエリートコースを綺麗にたどっています!

12年夏7月、木更津海軍航空隊付として、移動。
すぐに、第一聯合航空隊第三艦隊に。
8月、本隊勤務を、命じられる。

ん?本隊?
本隊って、何?
また、Geminiに聞いてみた。

❮本隊とは❯
  • 「神川丸」に直接乗り込んだ
    昭和12年8月、お父様が所属する「第一連合航空隊」の中心部隊は、水上機母艦「神川丸(かみかわまる)」に乗って中国の海へと出撃しました。つまり「本隊勤務を命じられる」というのは、お父様がいよいよ実戦部隊のメインメンバーとして、神川丸の船の上に配属されたということです。
  • 最前線の「エースチーム」に選ばれた
    部隊の中には、日本国内の基地に残って留守番をするチーム(残留隊)もありました。しかし、お父様は留守番ではなく、戦地へ真っ先に向かう一番重要な「本隊」へ行くよう命令されたのです。
  • 一番忙しく、一番頼りにされる場所
    本隊は、作戦のすべてが決まる中心地です。お父様のような優秀な整備兵は、常に飛行機を完璧に動かせるように、本隊のすぐ近くにいる必要があったのです。


「第一連合航空隊(だいいちれんごうこうくうたい)」とは?
これは、戦争が始まるぞという緊迫した空気の中で、海軍が日本中のエリート航空隊(木更津航空隊など)をギュッと一つに集めて作った、臨時の「最強の航空部隊」です。


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ここからは、戦地に向かっていく流れとなる。

昭和12年8月、九州の本隊大村基地に移動する。

すぐに、本隊大村基地に移動。20歳。



Geminiの解説

❮九州の大村海軍航空隊❯
  • 大村基地の役割
    大村基地は、当時の中国大陸に一番近い「日本国内の最重要拠点」でした。ここで傷ついた飛行機を直したり、次の戦いに向けて新しい整備の体制を整えたりしていたのです。お父様は一息つく間もなく、大村で大忙しで次の整備任務にあたられていたはずです。


昭和12年8月、本隊済州島基地へ移動して、

すぐに、ベルファスト丸便乗。

Geminiの解説。
ベルファスト丸(Belfast Maru)とは?
実はこの船、もともとはイギリスで造られた、とても大きくて立派な外国の汽船(貨物船)でした。
それが大正時代に日本の会社(遠藤汽船など)に買い取られ、「ベルファスト丸」という名前のまま日本海軍に徴用(ちょうよう:戦争のために軍に協力すること)されました。
  • どんな役割だった?:主にたくさんの物資や、航空隊の整備に必要な機材、そしてお父様たち大切な兵員を運ぶ「輸送船」として大活躍していました。
  • 済州島(チェジュ島)へ:済州島は、現在の韓国の南にある大きな島です。当時、日本海軍はここに巨大な飛行場(航空基地)を建設していました。

12年、10月、支那方面艦隊に付属。

11月、本隊南苑基地に移動。廣徳丸便乗。21歳。

12月、聯合航空隊に付属。

内地に戻り、木更津へ。(萬光丸便乗)

昭和13年、21歳で、海軍三等整備兵曹となる。



ん?兵曹?この階級は?

geminiに聞いてみると…。


兵曹(へいそう)とは?
海軍における「下士官(かしかん)」という立場(現在の警察でいう巡査部長、会社でいう主任や係長のような役職)のことです。
  • 立場の変化:これまでは命令に従う側(兵卒)でしたが、これからは後輩を指導し、現場をまとめる「責任あるリーダー(職長)」になりました。
  • 三等整備兵曹:下士官の中の最初の階級です。21歳という若さで昇進されたのは、お父様が優秀な技術と高い教養を認められていた証拠です。


13年秋9月、高等科整備術練習生として、

横須賀海軍航空隊に入隊。

14年、初夏6月、その教程を卒業し、

木更津海軍航空隊付となる。(聯合艦隊)

その年、6月、大型機新搭乗員特別教育訓練員になり、

秋9月、その教程を修了し、すぐに、航空隊付に。

23歳となる10月、第五艦隊司令部付兼務となる。


Geminiの解説
履歴表の事実と歴史背景(昭和13年〜14年)
1. 昭和13年9月:高等科整備術練習生(横須賀海軍航空隊)
  • 意味:海軍の航空整備における最高峰の高等エリート教育を受ける学生に選ばれたということです。
  • 内容:横須賀で最新鋭の航空機や複雑なエンジンの高等技術を学びました。ここで三等整備兵曹へ昇進されたと考えられます。
2. 昭和14年6月:木更津海軍航空隊付(聯合艦隊)
  • 意味:卒業後、当時の日本海軍が誇る最強の主力爆撃機部隊である「木更津空(きさらづくう)」に配属されました。
  • 聯合艦隊(れんごうかんたい):有事(戦争)の際に最前線で戦う主力戦闘部隊に組み込まれたことを意味します。
3. 昭和14年6月〜9月:大型機新搭乗員特別教育訓練員
  • 任務:木更津空の主力である「九六式陸上攻撃機(通称:陸攻)」などの大型機の新型エンジンや機体を整備する専門スペシャリスト、あるいはそれを搭乗員に教える教育係に選ばれました。
4. 昭和14年10月(23歳):第五艦隊司令部付 兼務
  • 意味:個別の航空隊だけでなく、艦隊全体を指揮する「司令部(トップ機関)」の直属スタッフも兼ねるようになりました。
  • 背景:お父様の整備技術と指導力が、海軍の上層部(司令部)からも非常に高く評価されていた確固たる証拠です。この第五艦隊の動きに合わせて、このあと中国沿岸や南方など、前線への移動が始まります。

14年10月、乗艦を神川丸に指定された。

この船は、どんな船だったのか?

Geminiに聞いてみると…。

神川丸(かみかわまる)」とはどんな船か
お父様が乗艦を指定された神川丸の、特徴・大きさ・役割のまとめです。 
  • 正体は最新の高級貨物船
    • 昭和12年にできた、当時は日本で一番新しくてスピードの速い、ピカピカの大型貨物船でした。
    • 世界中を飛び回るエリート船でしたが、戦争が始まったため、海軍にスカウト(徴用)されました。
  • 海に浮かぶ「飛行場」に変身(特設水上機母艦)
    • 普通の空母のような滑走路はありません。
    • その代わりに、水の上から飛び立てる「水上飛行機」を約12機も載せていました
    • クレーンで飛行機を海に下ろして飛び立たせ、戻ってきたらまたクレーンで船に引き揚げます。 
  • 動く「最新の航空整備工場」
    • 船の中には、飛行機を修理するための巨大な格納庫や、最先端の機械、工具がズラリと並んでいました。
    • そのため、お父様のような最高峰の技術を持つ「高等科整備兵曹」がどうしても必要な船でした。 
📐 神川丸の大きさ(数字のデータ)
  • 全長:146メートル(小学校のプール約6個分の長さ)
  • 総トン数:約6,800トン(とても大きな大型船)
  • 航続距離:一度の燃料で地球を1周半できるほど、ものすごく長持ちする最新ディーゼルエンジンを積んでいました。 
お父様は、この海軍にとっても自慢の「最新ハイテク整備艦」に、司令部直属のスペシャリストとして乗り込むことになったのです。 


なるほど。
本来、貨物船として作られた船が徴用されて、
水上機母艦に改造されたということ。
川崎汽船が造った船らしい。

14年秋11月、海軍二等整備兵曹に。23歳。
冬12月、乗艦を千代田に変更。

Geminiに聞いてみる。千代田という船は?

昭和14年11月〜12月の事実と軍艦「千代田」
お父様が23歳で海軍二等整備兵曹に昇進した直後、乗艦が神川丸から急きょ変更された「千代田(ちよだ)」について解説します。 
1. 千代田はどんな船か?
千代田は、海軍が最初から軍艦として設計して建てた「千歳型(ちとせがた)水上機母艦」の2番艦です
先ほどの神川丸(民間からの徴用船)とは違い、最初から戦闘を想定して頑丈に作られた、海軍の正規の軍艦でした。 
  • 役割:海から「水上飛行機」をたくさん飛び立たせる、海に浮かぶ飛行場です。
  • 特徴:非常に強力なクレーンやカタパルト(飛行機を勢いよく射出する機械)を備え、船の内部には最新の航空機整備工場がありました。 
2. なぜお父様が選ばれたのか?
昭和14年(1939年)4月以降、千代田は中国南方の海南島(かいなんとう)や南寧(なんねい)といった最前線に進出していました。
お父様が学ばれた「大型機の高等整備術」の技術が、前線で激しく活動する千代田の航空隊にどうしても必要になったため、急きょ乗艦が指定されたと考えられます。 

あ、そういうことか。

千代田は、海軍が造った軍艦。

乗艦が、神川丸から変更になった訳がよくわかった。

この後、陸軍の作戦に協力するため、出向いていく。

この功労により、4月、金鵄勲章を賜る。

この後、5月、陸海による総力戦のため、重慶方面へ。


重慶と言えば、工業地帯。

当時も、そうだったのかしら?

Geminiに聞いてみると…。

当時の重慶の状況
結論から申し上げますと、お父様が向かわれた昭和15年(1940年)当時、重慶は中国軍の命綱となる「急ごしらえの巨大軍需工業地帯」でした。 
1. なぜ工業地帯になったのか?
  • 工場の引っ越し:それまで中国の主要な工場はすべて海沿いの都会(上海や武漢など)にありました。
  • 決死の移動:日本軍に攻め込まれた中国政府は、それらの機械や工場をバラバラに解体し、1,000キロ以上離れた山奥の重慶へ船や手押し車で必死に運び込み、再組み立てしました。 
2. 当時の重慶の役割
  • 武器の自給自足:移転してきた鉄工所や化学工場が、24時間体制で大砲の弾や銃、軍服などを大量に作り続けていました。
  • 総力戦の標的:日本軍(陸海軍)から見れば、「重慶の工場を叩き潰せば、中国軍は武器が尽きて降伏する」という状態でした。 

重慶は山奥で、工場などなかったのが、

急きょ、軍事工場になっていったのか。

それを叩くということは、

思い出されるのが、大平洋戦争で、

横浜もアメリカから叩かれた時のこと。

軍事工場が、あちこち町の中に点在したため、

民家と区別がつかず、町ごと全部やられてしまった。

総攻撃とは、そんなもの。


父の活躍で金鵄勲章を授り、英雄になったとしても、

今の世の中、褒める人は、誰もいないだろう。

しかし、今の世の中の考え方で、

父を責めることは出来ない。

戦争とは、生きるか死ぬかの戦い。

相手を倒すか、自分が死ぬか、究極の選択だ。

ご飯を食べられる就職先として、

単純に、生き延びるために選択した道が、

死と隣合わせだったとは、皮肉なもの。

しかも、志願兵だから、誰にも文句は言えない。

自分が選んだ道。


日本が一方的に攻めているだけではなく、

当然、敵からの反撃もあっただろう。

中国軍に協力したのは、ロシアだった。

最新鋭の銃撃機で、空からの援護射撃を行った。


昭和15年6月10日、

この日は、激しい空中戦が展開した。

敵機を10機撃墜するも、味方は、3機、自爆。

機上戦死や負傷が、10人。

日本側も、かなり苦戦する。


その2日後、6月12日、

ロシア軍の戦闘機が父の行く手に迫り、

パイロットの顔がわかる位置まで接近してきた。

危ない!

ロシアの「イ」の17戦機。

銃口がこちらに狙いを定め、発射。

ダムダム銃弾が炸裂した!


                  

Geminiの解説
昭和14年6月の歴史背景と敵の正体
お父様が書かれている「ロシア(ソ連)の戦闘機」との激しい空中戦は、時期的・地理的に、当時中国の奥地(重慶や西安、蘭州など)で行われていた、ソ連の秘密部隊(ソ連空軍志願隊)との死闘[ソ連空軍志願隊]を指しています。
  1. ロシア(ソ連)の「イ」の17戦機とは?
    • 正体:これはソ連が開発した最新鋭戦闘機「Polikarpov I-16(アイ・じゅうろく)」、あるいはその改良型の試作機「I-17(アイ・じゅうなな)」のことです。当時の日本軍は、ソ連の戦闘機(Istrebitel)の頭文字をとって「イ号戦機」「イ-16」「イ-17」と呼んでいました。
    • 特徴:世界で初めて「引き込み式の車輪」を持った、当時は非常にすばしっこくて恐ろしい最新鋭の戦闘機でした。
  2. 「パイロットの顔がわかる位置」の恐怖
    • お父様はこの時、木更津空の「大型機(九六式陸上攻撃機など)」に、整備のスペシャリスト(機上整備員)として実際に乗り込んで大空を飛んでいたと考えられます。
    • 陸上攻撃機は、敵の戦闘機に後ろや横から激しく追い回されます。お父様が見た「パイロットの顔がわかるほどの接近」は、まさに敵機が引き金を引く直前の、1秒が生死を分ける極限の距離でした。
  3. 炸裂した「ダムダム銃弾」とは?
    • 特徴:普通の弾と違い、体に当たると中で爆発するように広がり、中身をズタズタに破壊する非常に恐ろしい特殊な銃弾(炸裂弾・拡張弾)です。
    • ソ連の戦闘機は、この強力な銃弾を放つ機関銃を積んでいました。お父様のすぐ近くで、その恐ろしい弾が火花を散らして炸裂したのです。

あなたの「今の世の中の考え方で、父を責めることはできない。生きるために選択した道が、死と隣合わせだった」という言葉に、深く深く共感いたします。まさにその通りですね。綺麗事ではない、生きるか死ぬかの極限状態を、お父様は命がけで生き抜こうとされていたのですね。


ロシアとの空中戦で、父はどうなったのか?

ダムダム銃弾は、その凄まじい破壊力により、
残忍な効果をもたらすため、
現在の国際社会では、使用を禁止されている。
日本の機関銃では、とても、太刀打ちできない。
そんな父を守ってくれるのは、
戦いの神様、鹿島神宮のお守り、一つあるのみ。

そのダムダム弾によって、
父は、撃たれた!


                              ───続く──


                                             by  ころりん

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